春の陽気が続き、草の季節がはじまった。
四月のはじめまでは、鍬やジョレンといった昔ながらの手道具で、なんとか草を押さえていた。だが、ここ数日のぽかぽか陽気と雨の加減で、草の勢いが一気に変わった。地中から顔をのぞかせた小さな芽が、あっという間に畑一面に広がり、まるで「待ってました」と言わんばかりに、あらゆる隙間に根を張っていく。
こうなってくると、もう手作業だけでは太刀打ちできない。畑の面積が増えればなおのこと、草刈り機や除草剤の力を借りねば、腰を痛めるか、心が先に折れてしまう。
昔は違ったという。田舎には人手があった。草刈り機などなくとも、親戚が集まり、村の若者が総出で草を刈った。草刈りも、畦の整備も、ひとつの季節の仕事であり、共同体の風景だった。
けれども今、田舎は静かである。人の姿は少なく、手を入れなければ、すぐに自然がすべてを呑み込んでいく。草は黙っていても、確実に自分の領土を広げていくのだ。
都会からこの自然に憧れて移り住んだ人たちも、しばしば、この「草」に驚く。草の勢い、草のしつこさ、草の根深さ。最初は「のどか」で「癒やし」に見えていたものが、気づけば「手強い」相手になっている。自然は好きだが草刈りが嫌いでに戻っていく人も多いと聞く。
さらに言えば、虫よりも蛇が苦手だという声も多い。自然が好きで田舎に来たはずなのに、自然の中で息苦しさを感じてしまうパラドックス。それでも、私は草刈り機をかけ、今日も畑に立つ。草と暮らすこと、それが田舎の春のはじまりだからだ。