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草と機械と、文明のはざまで


朝から晩まで、ひたすら草を刈った。

 

あたり一面、伸び放題だった草は、思えば、もう一週間か二週間、早く刈っておけばよかったかと、反省しながら機械を操った。ゴールデンウィークでなんとか間に合ったが、来年からは四月十五日を目処に一斉草刈りを行うことにしようと心に決める。

 

草刈り機のエンジン音を背に、ふと考える。この機械がなかったら、いったいどうしたらいいのだろう、と。草の成長は容赦ない。手作業だけでは、いくら体があっても追いつかない。今や、田舎の生活も、機械という文明の力に支えられている

 

便利になったといえば、それは確かにそうだ。しかし、もし、何らかの事情で機械が使えなくなったら――。燃料が手に入らなくなったら、部品が届かなくなったら。私たちは、再び草に呑まれ、森に飲み込まれてしまうだろう。

 

田舎に住んでいるからといって、自給自足ができるわけではない。むしろ、機械や資材、外から運ばれるあらゆるものに依存して生きている。都市で機械技術が麻痺すれば、たちまち文明は崩れ、街も田舎も区別なく、大量死が始まるだろう

 

 

そんなことを、今日も刈払機の振動を腕に感じながら思索をしていた。人間は草に勝ったのではない。ただ、文明という薄氷の上で、草の海に立っているにすぎないのかもしれない。