【世界のシリアルキラー】アフマド・スラジ「黒魔術の儀式の一環として70人の女性を殺害」

アフマド・スラジ / Ahmad Suradji

黒魔術の儀式の一環として70人の女性を殺害


概要


生年月日 1952年12月12日
死没月日 2008年7月10日
活動国 インドネシア
確定犠牲者 42
推定犠牲死者 70-80以上
活動期間 1986-1997

アフマド・スラジ(1952年12月12日-2008年7月10日)は、ナシブ・ケレワンやダトゥク・マリンギとしても知られるインドネシアの連続殺人犯。

 

1986年から1997年の間に42人の少女と女性を殺害したことを認めている。スラジの被害者は、11歳から30歳までの年齢層で、儀式の一環として腰まで土に埋められた後、絞殺された。

 

アフマド・スラジはインドネシアの北スマトラ州の首都メダンに住んでいた。彼は牛の飼育係として、またドゥクン、超自然的な力を持っていると評判のシャーマンのクラスとして生活していた。

 

スラジの顧客は、幸運に遭遇したり、美しさを維持する方法を求める女性が多かったという。スラジによると、1986年に亡き父が夢の中で彼を訪れ、黒魔術の儀式の一環として70人の女性を殺害するよう命じたという。

 

姉妹であった彼の3人の妻たちも、殺人に協力し、遺体を隠すのを手伝ったとして逮捕された。妻の一人であるトゥミニは共犯者として裁判にかけられ、無期懲役に減刑される前に死刑を言い渡された。スラジは2008年7月10日に銃殺刑を受け、死刑執行された。

 

殺人


1997年4月24日、21歳のスリ・ケマラ・デウィはアンドレアスという名の15歳の少年の人力車の引き手に「ダトゥク」に連れて行ってくれるように頼んだ。彼女は彼にそのことを秘密にしておくよう彼に伝え、迎えに来ることを要求しなかった。

 

数日後、デウィの裸で腐敗した遺体がサトウキビ畑で男によって発見され、その後、警察に通報したグループによって掘り起こされた。

 

アンドレアスは警察とデウィの家族に「3日前にスラジの家でデウィを降ろした」と報告したため、警察はスラジを尋ねた。スラジはデウィ殺害との関連を否定したが、警察は自宅からデウィのハンドバッグ、ドレス、ブレスレットを発見した。

 

彼はその後、1997年4月30日に逮捕された。尋問の間、スラジはゆっくりとデウィの殺害を自白したが、彼が同じように最大42人の少女を殺したことも明らかにし、デウィの遺体があったサトウキビ畑で発掘作業が行われなければならなくなった。

 

その過程で42人の遺体が発見され、中には身元が分からないほど腐敗していたものもあった。スラジはそれが儀式の一部だと主張して腰まで埋めていた。その後、腐敗を促進するために体から服を剥ぎ取り、頭を自分の家の方に向けて土の中に埋めていた。

 

スラジは1986年に夢で父親の亡霊に70人の死んだ若い女性の唾液を飲んで神秘的なヒーラーになるように指示されたと警察に話したという。しかし、スラジは70人もの死んだ女性に1人で遭遇するには困難過ぎるため、自分で殺害することにしたという。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Ahmad_Suradji、2020年6月21日アクセス