ジャベド・イクバル / Javed Iqbal
パキスタン史上最悪の連続殺人鬼
概要
生年月日 | 1956年 |
死没月日 | 2001年10月8日 |
活動国 | パキスタン |
確定犠牲者 | 100 |
ジャベド・イクバル(1956年-2001年10月8日)は、パキスタンの連続殺人犯。
6歳から16歳までの少年100人の性的虐待と殺人を自供している。イクバルは、証拠を隠すために被害者の首を絞め、死体をバラバラにし、酸で溶かした。
有罪判決を受けたイクバルは少年たちを殺した同じ方法で、まず首を絞められ、その後、被害者の両親の前で百体に切断され、酸に溶かされる予定だったが、刑が執行される前に自殺した。
幼少期
イクバルは実業家の父の8人の子供の6番目の子供として生まれた。ラホールのレイルウェイ・ロード・ラホールにあるガバメント・イスラミア大学に中級生として通い、1978年の在学中に鉄鋼の再鋳造業を始めている。イクバルは、父親が購入してくれたシャドバフの別荘で少年たちと暮らしていた。
イクバルの若齢期はほとんどわかっていない。1985年と1990年に同性愛の告訴があったものの、いずれも有罪判決にならなかった。
犯行
1999年12月、イクバルは警察とラホールの新聞社のニュース編集長であるカワール・ニーム・ハシュミに、6ヶ月間で6歳から16歳までの少年100人を殺害したことを自白する手紙が届いた。
手紙の中で彼は、被害者の多くはラホールの路上で生活していた家出人や孤児であり、その遺体は塩酸の入った桶で処分したと主張している。その後、遺体は地元の川に捨てられた。
イクバルの家に警察と記者が潜入すると壁と床に血痕が発見され、また、イクバルが被害者を絞め殺したと主張する鎖やビニール袋に入れられた多くの被害者の写真を発見された。これらのものには手書きのパンフレットが貼られていた。被害者の名前、年齢、写真などの詳細な記録を残していた。
部分的に溶解した人骨が入った酸の入った2つのタンクは警察が見つけやすいよう犯行当時そのままの状態されており、また、遺体も警察が見つけやすいように、意図的に処分せずそのままにしておいたと主張するメモが残されていた。
イクバルは、自分の犯罪について、逮捕後に暴行を加えた警察への復讐のために行ったと主張している。
イクバルは、犯行後にラヴィ川で入水自殺するつもりだったことを手紙で告白したが、失敗したという。
警察はパキスタン史上最大の捜索を開始した。イクバルののアパートをシェアしていた4人の共犯者(10代の少年)がソハワで逮捕された。数日のうちに、そのうちの1人は警察の拘留中に死亡。検死では彼に対して暴力が行われていたという。イクバルが1999年12月30日、ウルドゥー語新聞デイリー・ジャンの事務所に出頭する1ヶ月前のことだった。
彼はその後逮捕された。彼は、自分の命の危険を感じ、警察に殺されるのではないかと心配して新聞社に自首したと述べている。
イクバルは裁判で絞首刑を宣告され、裁判官は「お前が殺した子供の親の前で絞め殺され、お前の体は100個に切り刻まれ、お前が子供を殺したのと同じように酸に入れられるだろう」と判決を下したという。
イクバルは処刑前に独房で首を吊って死んでいるのが発見され、同じ夜に近くの独房でもう一人の「共犯者」も首を吊っていたという。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Javed_Iqbal_(serial_killer)、2020年6月13日アクセス